以下の記事は、noteに投稿を引用したものですが、ギャラリーに写真を追加したのでオリジナルサイトにも投稿します。 よろしければご覧ください。
母が少し前に宝塚の中山寺がエスカレーターを設置した後に行ったことが無いので連れて行って欲しいと言われていた。エスカレーターがいつ頃に完成していたか記憶に無いほど前のことのように思う。母は今年で79歳になる。なかなか旅行に気楽に行ける年でもなくなってきたので近場だしすぐに連れて行くことにした。
去年から、私は月詣りとして中山寺の隣、清荒神清澄寺に参るようにしていた。私も中山寺へのお詣りは久しぶりなのですが、理由は清荒神には大型の無料駐車場があり愛犬レスターも一緒にお詣りすることができるからです。今日、中山寺も犬を連れての参拝ができる事を知ったので次回はレスターも連れて行こうと思っています。
偶然
車は阪急中山寺駅の南側の駐車場に止め、駅の通路を通り抜け階段を登り中山寺へ向かうと私の方を見ているのか、その先の誰かに合図をしているのか、帽子にマスクをしたガードマンのような人が手を広げていました。私は後ろを振り返りましたが合図を受けているような人は見当たりません。その人をよく見ると親戚のおじさんでした。母の弟です。思わず笑みがこぼれました。何という偶然でしょう、たまたま市の仕事で違法駐車される自転車の人に注意をする仕事で見回っていたそうです。それが今日の1枚目の写真になったのは言うまでもありません。
中山寺へは、久しぶりに愛機:Leica M-P typ240にSummilux 1.4/50mmを付けて出かけました。あとで、35mmも持って行けば良かったとも思いましたが50mmのみでシューティングを愉しみました。
ここを切取りたいなと思うと足を止めてはシューティング、1枚撮るのに時間はかかり父母はさっさと進んで行きますが、私は時間を忘れてファインダーを覗きます。お詣りに来ているのか写真を撮りに来ているのか、答えは両方です。
Leicaのモニターを見るたびに「やっぱり愉しい」「いい絵が撮れた」と心の中で呟きながらの時間。解像度でも色でもなく、シャッターを切るたびに感じるエピトーム。
この写真はピントが合っていません。
家に帰って写真を見ると70枚ほど撮影していました。もっと良いと思える写真もありますが、こう言うのが愉しいと思うのでアップしました。
この瞬間のファインダーに写った絵は私の目を欺き、これだけの仏様を写真に撮ろうとした行動を何かの力で狂わせた。そんな言い訳をストーリーにできる自分が撮った1枚。
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