ベネッセアートに行って約3週間後の、
6月25日(日)毎日新聞の朝刊に、豊島のことが記事になっていた。
それは、アートや芸術祭のことではなく、80年代前半から始まった廃棄物の違法投棄と闘った、島の人たちと弁護士との約束の記事。
6月2日に島へおりたった時に、ある人に、豊島(てしま)は、豊かな島と言われていたのに、不法投棄があり島が荒れ、大きな裁判になったこと、香川県が産廃業者に許可を出したこと、その投棄を不法とし香川県ではなく兵庫県警が廃棄物処理法違反で強制捜査したことなどを教えてもらったことを思い出しながら記事読んだ。このような不法投棄がされていたことを、それまでは知らず、今の豊島を外側からだけ見ては事件があったことさえ理解できないが、30年余りの長い時間を要し、産業廃棄物を載せた最後の船が3月28日に出るまでのストーリーを読んで感じることが多かった。
「社会的立場が弱い人間が権利と闘うなら勉強しろ。妥協するな。」
2017/6/25付 毎日新聞朝刊
豊島の人たちが、美しい島を取り戻すために闘ったことは、とても比較にならない大きなものであることは言うまでもないのだが、今の自分を考えると大きな勇気をもらった。
振りかえってみると、大きなマイナスがあったとは思わないが、これから先のことを考えても残せ得るものも少ないような気持ちになることが多い。現状を見て、このようなことを言うと、贅沢だと叱られるとも思うが、満足しきっているのではないし、権力と闘っているのでもない。島の人が言った、一矢を報いたいという言葉を自分に置き換えると、何かを残したいのである。何も持たず、幸運にも現在を生きているが、鉄が溶けるほどのことをやりたい。そしてそれが強く塊り、かたちとして残したい。
これも幸いにして、理解のある家族、目的を持ち育った娘と息子、そして意志の強い社員がおり、思う存分に行動するには恵まれている。自分のライフプランとは少しづつ遠のいているのですが、やらないことへの後悔とリスクが大きいのは分かっている。
自分はよっぽど甘い蜜が嫌いなようだ。
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